ゴールデンウィーク

 ゴールデンウィークの真っ只中、大型連休を取られている方も大勢いらっしゃることでしょう。
 暦通りのお休みの人は、後半の連休を楽しみにしながら間の2日間を頑張られていることと思います。

 私たちの仕事は、24時間・年中無休です。
 他にも24時間年中無休の職種は沢山あり、当然、交代で勤務しているので、お休みもきちんと取られていることと思います。

 もちろん、私共も交代でお休みはいただいていますし、ちゃんと睡眠もとっています。

 コンビニのように、時間によって店員さんが違えば、交代していることが目に見えてわかりやすいのでしょうが、電話やメールでの対応の場合は、交代のタイミングなど、わかりにくいのかもしれません。

 年末年始、私は年末に少しお休みをいただき、年始は元旦から電話対応をさせていただいていました。

 今年のお正月に電話で対応させていただいた方から、
「お正月から、お休みがなくて大変な仕事ですね。とてもありがたいです。大変でしょうが、頑張ってください。」との言葉をかけていただきました。

 ご自身のお身内の心配でいっぱいいっぱいの状況の中、電話口で対応する私にねぎらいの声をかけてくださり、とても励みになったことを、連休中に仕事をしていたつい先日、思い出しました。

ゆでガエルと尖閣諸島購入の話

 今日は朝から東京都の尖閣諸島の購入の話題でした。100人ぐらいのサンプルだったでしょうが、都民に賛成か反対か調査しているものを目にしました。
 半数以上が、都の税金を使っても良いと賛成していたのには、少し意外でしたが、ほっとしました。都民というよりも日本人という意識の現れ、日本が危機だという意識の現れ、と理解しました。(勝手な理解です。もっとも、仮に数字が1割の賛成だとしても、数字に表れない本音のところでは、違うはずだと推量しますが)。寄付を募っても相当な額が集まるのでは?

 この危機は、これまでの、元寇だとか、黒船来航だとかで、強い外国によって危機にさらされるというよりも、だれに頼まれたわけでもないのに、自らが弱くなっていることによる危機だと感じられます。
 ローマ帝国の崩壊は外的要因ではなく、内的要因である、ローマ国民が「パンとサーカス」に興じたから、という解釈に通じます。
 日本のサーカスの中身は、素人でよいアイドルグループからお笑い芸人、報道ショー、政治劇場まで、さまざまなものをサーカス化していく浸食ぶりです。

 われわれもうすうす気づいています。このままでいいはずがない、何とかなりそうもない予感が確実に強まっています。
 ただ危機を危機として認識できれば、ゆでガエルにならずにすむ方策を見つけ出すことができると思いたいです。

無縁墓

 この春のお彼岸は、家族の都合が合わず、お墓参りに行けませんでした。
 やっと落ち着いてきたので、近いうちに行こうと思っています。

 我が家のお墓は比較的近く、休みの日に一人で行こうと思えば行けるのですが、やはり私が一人で行くよりも、息子に来てもらいたいのでは?と思い、なかなか休みが合わない主人との時間の調整中です。

 このお墓は長男が継いでいます。長男の子供は女の子が二人。
 将来、姉妹のどちらかが継いでいくことになるのだと思いますが、まだ若い二人。
 ましてや、まだ二人ともお嫁には行っていないので、そんな将来のことはまだ考えられないようです。

 私自身も二人姉妹です。
 実家のお墓のことが気になりました。
 私が20代の頃、霊園の石屋さんに、「お父さんとお母さんがお墓を建てたから、これからの補修はお姉ちゃんたちが頑張ってね」と言われたことを思い出したのです。
 お墓の石はまだまだずっと大丈夫だけど、周りの石はあと10年もしたら新しいのにしたほうがいいと。それからもう20年以上経っていますが、まだ当時のままです。

 このお墓、誰が守っていこうか。
 私の代はまだ大丈夫。姉妹で守っていけますが、この後が問題です。
 我が家も女の子が一人。お嫁に行ったら守ってもらえるのか・・・。
 まだ10代の娘は、おばあちゃん子というのもあり、「もちろん、私がやる」と頼もしいことを言ってくれるのですが、これもどうなることか。

 しきたりや核家族化など、様々な問題でお墓を守ってくれる人がいなくなってしまう状況。
 これからは更に増えていくのではないかと思います。

 私自身、どこのお墓に入るのか?お墓に入ることができるのか?という問題もありますが、今あるお墓を無縁墓にしないためにも、お墓参りの時にそんな話をしてみようと思っています。

バス

 先日、めったに乗らないバスに乗った時のことでした。

 席が空いていない状況で、私は後部に立っていました。ほとんどの座席にはお年寄りが座っています。

 停留所に止まる度に数人の人が乗り込み、やや混んだ状況になってきました。

 そして、中学生くらいの男の子がにぎやかにおしゃべりをしながら乗ってきた時のことでした。
 別々の座席に座っていたお年寄りが二人同時に、「次で降りるから、座りなさい」と席を立ったのです。
 驚いたことに、その中学生は、「ありがとうございます」とは言ったものの、席を譲ってもらい、座ってしまいました。

 バスが動いている状態で、柱やつり革につかまりながら出口の方へ歩いていくお年寄り。
 バスには乗りなれているのかもしれませんが、バスのアナウンスでも、「バスが止まってから席をお立ちください」と案内しています。
 
 もしかすると、降りるときに少し時間がかかるから、先に降車口に行こうと思われたのかもしれません
また、その子たちは、その方のお孫さんと同年代くらいの子たちだったのかもしれません。

 しかし、私は後方から見ていて、やはり走行中に歩かれるのはとても危ないと感じました。

 その方は、次の停留所で降りましたが、席を譲ってもらった男の子たち、
「止まってからでいいですよ」
と、言える日がくるといいなと思いました。

カラーイメージ

 春を感じられる気候になってきました。
 開花の遅れや、爆弾低気圧と名付けられた春の嵐の影響でどうなるかと思われていた桜も、まだ満開ではないものの、新入生や新しくステップアップした人たちを応援しているかのように咲き始めました。

 道端や畑などにも色とりどりの花が咲き始め、黄緑色のフレッシュな新芽も見られるようになってきました。

 きれいな色の花を見ていると、とても気分がよくなってきます。
 春の陽気のせいでもあるのでしょうが、花の「色」は見ているだけで人の気持ちを動かしているのかもしれません。

 「色」について、私はずっと前からとても興味を持っていました。
 私が趣味でハワイアンキルトを始めたのも色に魅かれたからでした。色の組み合わせ次第でイメージががらりと変わり、出来上がった作品はずっと見ていても飽きないくらいです。
 新しいものを作るときに選ぶ色は、その時の気分が配色に表れているのかもしれません。

 赤は元気、青は冷静、緑はやすらぎ、黄色は光、白は敬意、黒は生命の終わりや再生・・・と、それぞれに意味があり、それはきっとだれもが色の勉強などをしなくても心理や感覚で感じているものなのでしょう。

 企業のイメージカラーや広告、パンフレット、ホームページなども、配色は大切なことなのだと改めて感じました。

 色の種類は無限にあります。もう少し深く勉強してみたくなりました。

春の色

 気象庁の桜開花予想日を前にして、六本木ヒルズの桜が2輪開花したというニュースをテレビで見ました。
 昨日、川崎地区の斎場を訪問していた際に、桜の木を見上げてつぼみが膨らんできてるからもうすぐ咲くかなと思っていた矢先だったので、いよいよシーズンに入ったなと、なんだか嬉しくなってきました。

 先日「私が斎場へ訪問するときはなぜか天気が悪い」という記事を書きましたが、その後の訪問では天気が味方についてくれたかのような快晴。空に感謝です。コートも冬物ダウンから春用の軽いものに変わりました。

 今、訪問させていただいている斎場の多くは寺院が管理しているので、お寺の境内なども合わせて見学させていただくのですが、丁寧に整えられた境内には、多くの木々が植えられています。
 3月の初めころに伺ったときは、まだまだ寒く、梅の花も咲いていませんでした。それが、最近伺ったところでは、色とりどりの花が咲き、黄緑色の新芽もみられ、すっかり春の色になっています。

 昨年は震災の影響で、花見どころではなかった方も多いかと思います。花見の名所ではちょうちんに灯りがともらず、なんとなく重い気分だったことを思い出しました。
 今年の桜のシーズンには提灯はともるのでしょうか。

 東京はあと一週間くらいで満開になると予想されています。今年は夜桜見物ができることを楽しみにしています。

 そして、入学式の頃にはちょうど満開の桜がピカピカの一年生を迎えてくれることでしょう。

井戸端会議

 先日、買い物の帰り道に、知り合いが3人で井戸端会議をしているのを発見。挨拶をして通り過ぎるつもりが、いつの間にか私もその井戸端会議に参加していました。

 会議の話題は、たいてい子供のことや学校のこと。とりわけ、その日は卒業式の直後だったので、学校の先生のことや高校の話などで盛り上がっていました。

 いろいろな話題が飛び交う中、一人が「おばあちゃんが先週、骨折して入院したのよね…」と。そこから話題は親の老後の話に移り、お葬式の話しにおよびました。

 3人とも、まだ身近な身内を送った経験が無く、漠然とした不安を持っているとのこと。
 インターネットで調べてみても、沢山ありすぎてどこがいいのかわからない、安心などと書いてあるけど、かえってそれが不安になるとか。
 経験者に聞くのが一番いいのかもしれないとは思うけれど、立ち入った部分なので、聞くに聞けず…
 「まだ先のことだから、まあいいや」の状態でモヤモヤしていると言っていました。

 買い物帰りの立ち話しだったので、今は細かい話まではできないけど…と、簡単にこの仕事の話しをすると、「え〜、そんな仕事をしてたのね」「聞ける人がいて良かった、聞けることを知っただけでも安心した」と言ってもらい、連絡先を渡してからほどなくして井戸端会議は解散しました。

 いつかかかってくるかもしれない知人からの容赦ない質問に備えて、100聞かれたら、おまけ付きで100返せるくらいの知識を身につけなくては!と、私の今後の励みにもなった、有意義な井戸端会議でした。

行方不明者数

 一年前の今日、地震発生直後に停電になり、少しでも情報がほしいと思ってつけた携帯のワンセグテレビに映った映像は今でもまだ目に焼き付いています。
 小さな画面に映った情景は、携帯の電池の残量を気にしつつも理解するのに時間がかかるものでした。
 
 あの日から一年、未だ3000人余りの方が行方不明の状況で、昨年の11月からは新たな行方不明者の発見はないとのこと。
 未だに家族がみつかっていないという方の話しを読みました。あきらめなくてはいけないのだろうけど、何も見つかっていない状況では踏ん切りがつかず、骨一本でもいいからみつかってほしいというものでした。

 放射能汚染などの関係で捜索もなかなか進めることができない状況で、捜索する側の人も悔しい思いでいるとも書いてありました。

 身元不明のまま火葬された方も大勢いる状況、まだまだ捜索した場所があるのに行けない状況で、気持ちに整理をつけるのはなかなかできないことだと思います。

 行方不明になっている方も家族のもとへ戻りたいはず。未だ行方不明の方が一人でも多く、ご家族のところへ戻れるように…私には願うことしかできませんが、捜索を再開するというニュースを見る度に発見を期待しています。

 また、来年の今日、少しでも行方不明者の数が減っていますように。

100歳現役をめざそう。

 「あら、明日私誕生日だわ」料理教室の次回予定日を確認していたお仲間が手帳を見ながらつぶやきました。
 83回目の誕生日を迎える手帳にはびっしりと予定が書き込まれていました。
 現役で数々の要職につき、全国を飛び回っているお元気な秘訣は歩くことだそうです。

 「ただし、この歳で1万歩はいけません。お医者さんからは1日1万歩を勧められますが、同年代の皆さんは一様にひざを痛めています。6〜7千歩で止めましょう」とやみくもに突っ走るお仲間にはやんわり警告も発しています。
 御一緒している鎌倉の散策では、足の速さと姿勢の良さに2回りも3回りも若い(?)仲間が焦ります。

 先日も舞台写真の展覧会を観て、修業を積んだ役者のまなざしから、生を重ねること、一筋に生きること、老いることは芸術と言う思いを新たにされたとのお話を伺いました。
 若い役者にはない強さ感じられ、久しぶりに大いなる刺激を受け、ドキッとさせられたとのこと。
 先輩にはいつも発奮させられます。

 また、長年小さな出版社を営んでいる友人は、この先輩のさらに二回り近く上で100歳を優に越している大先輩からも、大いに励ましを受けているとのことです。

 昨年104歳の誕生日に掛け参じた時も、100歳近くまで現役で仕事をされていた方ですので、今やりたいことは即座に「仕事です」とお答えされるほどのお元気ぶりだったそうです。

 大先輩の長生きの秘訣は嫌なことをしないこと。
 「そういう人はお金儲けが下手だからあなたも長生きするわよ・・・。あなたも100歳まで生きるから頑張れ、頑張れ」とお会いするたびに発破をかけられてくる始末だそうです。

 昨年9月の統計では日本の人口の中で100歳以上の方がここ20年ほどで10倍に膨れ上がり、今や4万人を超すほどとの報道を耳にしました。

 いつまでもお元気で、我々の希望の星でいてください。
 大往生された暁には、紅白のお饅頭がご会葬者皆様におくばりできますように・・・。

 最近、60代の方のご葬儀に連続して立ち会うはめになりました。
 第2の人生の扉を開けたばかりなのにシャットアウトしなければならない無念さが胸に迫ります。
 人の命はいつお迎えが来るか分りません。
 今を悔いなく生きるためにも前進あるのみをモットーに、先輩達を見習っていきたいと思います。

年金問題と他人のお金

 報道番組を見れば社会保障の話、中でも年金の話題に相当な時間が使われている気がします。昨夜のNHKの夜の番組でも野田総理が出演されて、このテーマがメインの感じでした。

 今の賦課方式から積立方式にせざるを得ないという流れに見えます。たしかに、ねずみ講のようなものと揶揄される賦課方式よりも、積立方式のほうが、まだましな感じがします。
 しかし、かりに、移行することができるとしても、なんと800兆円もお金が足りないというではありませんか! 社会保障の専門家と一人は、この800兆円を数百年にわたって穴埋めしていくのが最適解だと真顔で言ってました。

 こんな話に毎日何十分も付き合わされると気分もよくないので、報道番組や新聞も見出しぐらい見るようにするというのは有効な対処法だと気づき、徐々にそのようになっています。

 ところで、葬儀の事前相談の違和感もだんだんと薄らいできて、事前に葬儀社を決めるだけでなく、金額も決めて、お金も預けて生前契約までしてしまおうという人が中にはいます。それで安心をしたいということは、わからなくはないのですが、少なくともお金まで“一括”して預けるのは止めたほうがいいと助言します。
 そもそも、状況は変わります。契約時はまともな良い会社でも、時間がたって変わらず良い会社ありつづけているかはわかりませんし、会社がなくなる可能性があります。お金が適切に返ってくる保証もありません(互助会の場合は半分は保全されます)。

 他人にお金を預けるのはリスクがあるのは誰でもわかっていることです。それが、他人が国だったり公共機関だったり、会社だったりすると、大丈夫なような気になってしまうのはどうしたことでしょう。

 自分がお金を持っているとロクなことに使わず無くなってしまうので、他人に預けて管理しておいてもらう。そして、預けられた人はきちんと管理(運用)してくれるはずだ。こうした面ももちろんあります。

 と同時に、自分のお金はケチケチに使うが、会社のお金や税金で集めた金(他人の金)は自分の懐は痛まないので大盤振る舞いする傾向がある、というのもまた確からしいことです(この結果が、800兆円という途方もない額への到達でしょう)。
 よりましな積立方式ですら、この誘惑に勝てる保証はありません。