旅支度は念願のビールを口に含ませ、念入りなメーキャップと愛用の着物で最後のおしゃれを・・・。

 お亡くなりになった後、ご家族や近親者の手で最後の水を口に含ませる「末期の水」という行事があります。
 この水がビールになり日本酒になりと言う話をよく耳にします。
 葬儀社の担当者は「長い入院生活で大好きだったビールを我慢していた」と伺えば、最後はビールでと提案し脱脂綿やガーゼに含ませたビールで故人の唇を潤します。
 また、病気でお酒を止められていた故人が寝台車でご自宅に戻られる時、担当者は奥様にビールの有無を尋ね、途中のコンビニによって買い求めたビールを枕付けに置き、大変喜ばれたという話も伺ったことが有ります。
 
 末期の水は病院でやる場合とご自宅でやる場合がありますが、着付けだけはできるだけ早く、死後の硬直が来る前に済ませなければなりません。
 以前、愛用の着物を着せたかったのですが、申し出が遅くて泣く泣くご遺体の上に掛けざるを得なかったことがありました。

 末期の水をとったらご遺体を清めます。
 これを湯灌と言い、アルコールや湯でご遺体を拭く略式のものから、専門業者がきてきれいに仕上げてくれるものまであります。
 名前だけを聞いて消極的だったご遺族の方々も仕上がりをみて殆どの方が「やって良かった」という印象に代わられるようです。
 特に長患いでできた管の傷跡等の処理をして綺麗になった姿には感激するそうです。
 頭髪を整え、男性はひげをそり、女性にはきれいにお化粧を施します。顔色の悪い場合はマッサージをして下地を整えます。

 但し、気をつけなければいけないことがあります。結核などの感染症で亡くなられた方の場合、体液から感染することもありますので、処置をすばやくする必要がありますし、身体をやたらに動かしてはいけません。

 お別れの儀ではご家族ご親族だけでなく、会葬者全員とご対面し、最後のお別れをする機会が増えていますのできれいな顔で安心して送り出せるようなおしゃれに気を使ってあげたいですね。 

横並びの式場で、騒音は意外なところからやってくる

 1ご喪家のみ使用の斎場では気がつかないが、幾つかの式場を持っている斎場では1日に式場数だけ葬儀があり、隣りの騒音に悩まされることがしばしばです。
 特に音がよく響くのは横並びの式場の場合です。
 斎場サイドからは音楽を奏でないでほしい、マイクを使わないでほしいと葬儀社を通じてご喪家にご注意がありますのでそちらは守られているのですが、実際はそれ以外の音の方が気になるようです。

 例えば、以前八王子市営斎場での葬儀に立ち会った時は隣りの式場と同時刻に開式。間もなくお隣からは鉦や太鼓の音に加え3人のお坊さんの読経の声が響き渡り、こちらの読経の声が掻き消されてしまい、式の進行を妨げるほどでした。
 傍で見ていても落着かずいたたまれない気持にさせられました。
 ご自宅での葬儀の形をそのまま式場にもってきたようで、ご住職サイドも斎場での読経方法を考慮すべきではと思わせた事例です。

 式場隣がロビーやエスカレーターなどの出入り口の場合は、他の式場にいらっしゃった会葬者どうしの会話に悩まされる時があります。
 突然のけたたましい笑い声や遠くから大声で呼ぶ声など、久しぶりにお会いするご親戚の方々が斎場という特殊空間に迷い込み、平常心を失ったように大声で喋り捲る光景がよく見受けられます。もう少し周りを見渡していただきたいものです。

 お隣どうし開式をずらして行えば大丈夫かと思えば意外な音で悩まされることがあります。
 原因は葬儀のプロのはずの葬儀社さん自身からです。
 悲しみの中で静かにご焼香をしている最中、先に終った隣の式場からかたずけ作業の音が遠慮会釈なく響く場合が往々にしてあります。
 
 お互いご自分の置かれている立場をちょっと立ち止まって見直しましょう。
 
 雑音に悩まされることなく悲しみの中にも心静かにお見送りしたいものです。 
 
 

プロテスタントの告別式に伺ってみると・・・。

 キリスト教関係の葬儀は通常、信者として通っている教会で、担当の牧師さんの手で行われることが多いのですが、プロテスタントの場合は諸般の事情で他の教会、式場で執り行われることも増えてきたようです。先日のプロテスタントの葬儀も故人が通っていらした教会ではなく、別な教会を使用しました。
また、今年はじめに伺った葬儀では、区営の斎場を使用していました。
 キリスト教でもプロテスタントの場合は比較的規則が緩く、式も日本独自の習わしにそって行われます。
 日本式の通夜にあたるものをカソリックでは通夜の集い、プロテスタントでは前夜式と呼ばれ、牧師さんの司会進行により執り行われます。
 前夜式も通夜同様、近年参列者が多く、葬儀にこられない会葬者のために、告別式に準じた内容になります。
 告別式を例にとりますと、まず定刻前に会葬者が着席し、ご喪家の方々をお迎えします。
 オルガン演奏の中、司会の牧師さんのご挨拶から始まり、賛美歌合唱、ご喪家による故人の略歴紹介、聖書朗読、牧師さんの式辞、友人代表のお別れの言葉、賛美歌合唱、喪主の挨拶、仏式の焼香にあたる献花へと続きます。
 所要時間は仏式、神式と同じ1時間以内に収められます。特に仏式との違いは賛美歌合唱の
会葬者参加型にあると思われます。
 最後に、柩にお花を入れるお別れの儀は宗教を問わず行われます。
 白一色のお花は出席した方々に鮮烈な印象を与えたようです。

斎場選びは思い出の地としてできるだけ家の近くを希望する

 少し前までお葬式は自宅でするものだという思いが強かったのですが、いつの間にか今や都市部を中心に、大方自宅以外の式場に場所が移ってしまった感があります。
 それを都会の住宅事情や近所付き合いの希薄さなど色々な煩わしさの所為にしていますが、いざとなるとそれでも地域とのつながりは心の拠り所としてあるようです。
 葬儀社の担当者が何ヶ所かの斎場を提案した場合、家の近くを希望される方が多いと聞きます。
 
 最近立会いに伺ったご葬儀も斎場選びの第一条件は近所でした。通夜のお清めに近所の方の手作りの料理が運び込まれ、葬儀社が手配したのはメインのお寿司と飲み物だけでしたので、予想外の会葬者数になっても追加が間に合ったとのことでした。
 
 港区のやすらぎ会館でのご葬儀の場合は、依頼者の方が始め池袋方面の斎場を希望されていたのですが、自宅が西麻布ということで、葬儀社の担当者が参考までにと提案したこちらが、実は小学校の通り道にあり、故人のお母様にも懐かしい所だからと急遽変更されたいきさつがありました。
 
 国分寺のきわだ斎場でのご葬儀の場合は、依頼者のご指定でした。永年近所に住み、故人が子供の頃境内で遊んだ思い出の場所だそうです。
 故人の永年の散歩コースになっていた、つつじヶ丘の金龍寺でのご葬儀の場合は、霊柩車がまわり道をして、同じ町内の自宅前を通って火葬場に向われました。
 
 
 

ご葬儀も親しい方をお招きするというスタンスから、お花とお料理の質が大切です

 「親戚と親しかった方のみで見送りたい」とお身内だけの葬儀を希望されていらっしゃるご喪家のなかで、「お花とお食事だけはお見えになった方々に満足していただけるものを」と
おっしゃる方が特に増えているようです。
 どうしても儀式中心になりやすい一般葬に比べ、生前の故人をよくご存知の方々に、ゆっくりと最後のお別れをしていただきたいと言うスタンスをはっきり打ち出している分、ご喪家側もお客様を接待するというニュアンスも含まれているように思われます。
 特にお食事に力をいれる葬儀社の担当者も増えてきているようです。
 先日葬儀をお願いした埼玉地域の担当者も永年の間に60社位の仕出屋さんと付き合った結果、なんと東京を飛び越えて横浜の業者の方にお願いしているとのことでした。
 さすがに、当センターのアンケートにもご喪家側から「大変美味しく、お客様からもお褒めの言葉を頂きました」と回答が寄せられていました。
 最近では従来の仕出屋さんのお料理というよりも、ホテルの宴会場のように温かい料理は温かく、冷たい料理は冷たい状態でお出しする業者の方も出てきているようです。
 但し、ある担当者は腕のいい本職のお寿司屋さんにお願いしたが、通夜の時間のタイミングがずれて、カラカラになり折角のお寿司が台無しになってしまった苦い経験もあるとのことでした。
 後から仕出屋さんに聞くとこの時のお寿司の種類に問題ありとか・・・。
 ある程度、餅は餅屋のこともありますとのことでした。
 

同窓会と間違えられた通夜の席

 近年成人式の暴走振りが話題になっていますが、ついにお葬式にまで飛び火してしまったようです。
 先日立会いに伺ったご葬儀は厳粛な中にも親子の情が篭ったお式でした。
 故人はまだ50代の働き盛りのお父様。突然の死に奥様、お嬢様のショックは大きく、葬儀社の担当者も葬儀の日取りを少しずらしたほどでした。
 6日目のご葬儀では、気丈に振る舞う2人の姿が逆に会葬者の涙を誘っていました。
 お嬢様の「大好きなパパへ」の手紙も柩に沢山のお花とともに納められました。
 おもわず担当者に「よいお式でしたね」と同意を求めると、「いやぁ、夕べの通夜は大変でした」と意外な返答が返ってきました。
 それは目が点になるようなお話でした。
 お父様はご自宅でお仕事をなさっていらしたので、お嬢様のお友達はお父様ともお知り合いの方が多かったようです。
 数十名のお友達が通夜に駆けつけて下さったまではよかったのですが、服装がジーパン、透け透けルックにミュールというつっかけスタイルで厳粛なご焼香の間中カックン、カックンと派手な音を響かせ、久しぶりに会うお友達同士話が弾み、お清めのお酒も手伝い、いつの間にか完全に同窓会モードになってしまったようです。
 周りの白い目も何のその、興奮の余り(?)あちらこちらで大騒ぎになり、担当者も堪りかねて「ここはお寺ですので静かに」と少し遠回しに注意をしたが効き目のほどは・・・・。
 「これからは葬儀のいろは以前にマナー(?)を教えなければいけない時代になったようです」苦笑する担当者に、黙って頷くしかありませんでした。
 

斎場の間口と祭壇との関係

 概算の見積りを取る段階でおおよその予算から祭壇が提示されますが、見積りの費用を大きく左右するのがこの祭壇です。
 葬儀社の担当者は色々な価格帯の白木祭壇、生花祭壇の写真を用意し、依頼者にお見せします。
 生花祭壇の写真の場合は色や形は分かりやすいのですが、特に大きさが掴みにくく折角のお花が生きてこない場合が間々あるようです。
 斎場も間口の広さと式場の大きさに必ずしも一致せず、どちらかといえば家族葬向きの斎場でも間口3間以上もあることもあります。
 その斎場に精通している担当者でも特に依頼者のご要望でシンプルな祭壇をご希望され両サイドの供花の並べ方でバランスをとるのに苦労したケースもあるようです。
 勿論横長な生花祭壇をご用意している葬儀社もあります。

 以前立会いに伺った斎場では担当者に会うなり「市営斎場ではこれと同じ生花祭壇が大きく見栄えがよかったのですが」と言われ、依頼者も「もう少し大きな祭壇にしておけばよかったかも」と少し浮ぬ顔の様子でした。
 この場合ご家族ご親族のみ10数名の会葬者でしたが、交通に便利な所と日程が最優先されたため社葬もできるくらいの大きな斎場で執り行うことになり、式場も間口が広くなんとなく、ポツンとした印象を受けました。
  
 同じような間口の広い斎場での印象的な生花祭壇の場合は、横長の花祭壇に緩やかなカーブのラインを入れ、それが鮮やかなアクセントになっていました。生花祭壇に供花を組み込み式にして華やかさを出し、このライン創りは華やかな割りにはお花もそんなにいらないというメリットがあるようです。
 せっかくのお花を生かすも殺すも祭壇と式場とのバランスが大きく影響されるようです。
 

 
 

人生いろいろ別れもいろいろ

 
 内々だけのご葬儀には凝縮された人生模様が詰まっていて、故人の人となりが浮き彫りになるようです。

「葬儀社のご紹介を」との電話を頂いたのは奥様のお友達からでした。
 奥様は危篤状態のご主人につきっきりなので、今後のことも含めてお手伝いしているとのこと。暫く小康状態を保たれていらっしゃったのですが、1週間後急変し、帰らぬ人となってしまわれました。
 ご遺骨を散骨にするため、無宗教でごく親しい方のみでお送りしたいとのことでした。
 ご喪家のお名前はお聞きした奥様のお名前ではありませんでした。
 葬儀社の担当者は奥様に出来るだけ沢山のご主人との写真をもってきていただき、祭壇の前に並べました。
 通夜はご主人の好きだったフランク永井の曲を聞き、写真を見ながら皆さんで故人との思い出話に耽っていただいたようです。
 「良いことも悪いことも包み隠さず遠慮なく思いっきりお話ししました」とふきっれたような奥様の笑顔はとても穏やかでした。
 告別式の会葬者は奥様のご兄弟、友人の他はご主人の妹さんと弟さんだけでした。
 ご焼香の後、妹さんより突然「別れの手紙を書いてきたので読ませてください」との申し出がありました。
 「あんちゃんらしく生きた人生でしたね。父も母も早く亡くなったので2人ともあんちゃんにぶら下がっていました。何時も心の支えはあんちゃんでした。やっと本家の重圧から解放されましたね。お墓は弟が守っていきます。あんちゃんは幸せものでした。安らかに眠ってください」
 複雑な人生模様をうかがわせる手紙は柩に入れられました。
 「おねえさん、ありがとうございました」万感を込めた妹さんの一言は何か胸に迫るものがありました。
 お花入れの儀では、柩にお花を入れながら、「生きている間に花束あげたかったわ」「でも似合わないよ」てんでに声を掛け合い、最後に皆さん一斉に「ご苦労様でした」。
 泣き笑いながら柩を見送りました。
 こんな葬儀も親しい方のみだからできるのですね。
 
 
 

ベテラン担当者の采配ぶり

 葬儀担当者は目の前の困難があればあるほど燃えるようです。
 無宗教葬の告別式に立ち会った日、お会いするなり、「今日は桐ヶ谷斎場までの途中が混み合うので少し早めに出発します」とのことでした。
 ご家族親族10名のみのご葬儀と伺っていましたが、開式30分前すでにかなりの会葬者がお見えになっている様子。
 私の浮かない顔をみるや、担当者は「実は家族葬ということでしたが、昨晩の通夜は80人以上お見えになり、お食事時間をできるだけ遅らせる作戦に出ました。ご焼香の後、柩の蓋を開け、お別れ会につなげました。献花用のお花は急遽生花をちぎり、会葬者全員にお渡しし、お1人ずつそれぞれの思いを込めて柩に語りかけ、最後のお別れをしていただきました」。
 こちらの式場はお清めの部屋とぶち抜きのような感じになり、応用が利く使い勝手の良い式場と普段持ち上げていたところですが、間が悪いことに、今回はそれが裏目になってしまったようです。お食事は25人分しかありません。なんとしてもお清めのほうに行かせないように。ご喪家に恥はかかせられません。
 結果この日しか来れない人の為にお別れの会は功を奏して、時間は19時半過ぎまでかかり、会葬者は心の満足感を味わったようです。勿論、お食事も十分間に合いました。
 告別式も弔辞を読む方々にご喪家の形式ばらない式にしたい旨をお話しすると、皆さん胸ポケットに原稿を仕舞われ、遺影に向って思いの丈を話されたようです。
 時間が進むにつれ会葬者も更に増えてきました。一般のご焼香も皆さんゆっくりと進み、思わぬ時間が掛かっています。担当者はお別れの儀に入るやいなや柩を前に出す作業から始め、すぐに一旦ロビーに出ていたお身内の方に入っていただき、柩にお花をいれていただきます。時間との戦いでしたが、それは内輪での話し。式はあくまで悲しみの中にも、ゆったりとした時間が流れています。一般会葬者の方々も昨日同様献花で最後のお別れです。奥様の最後のご挨拶「24年間どうも有り難う」で締めくくられ出棺となりました。時計はなんと定刻5分前。手際のよさとベテランの意地を見せていただきました。

思い出コーナー

 ご喪家のご要望で生前故人が愛用したものや趣味の作品、家族との思い出の写真を式場のコーナーに飾り、葬儀に出席していただいた友人知人に見ていただくことがよくございます。
 通夜や葬儀の始まる前、悲しみの中にもそのコーナーの周りはおしゃべりと時には笑い声さえ聞えます。
 生前、なかなかお会いできなかった故人との思い出が、1枚の写真を巡ってよみがえって来るようです。
 1枚1枚の写真はごく普通の家族のスナップ写真であっても、その時代に関わった友人にとって貴重な最後の1枚になります。
 
 昨年、ご喪家からいただいた礼状の中で思い出コーナーに触れたものも幾つかございました。
 なかでも、コーナーの作成を葬儀社のほうで全てやる場合と、ご家族の皆様に手伝ってもらい、少しでも自分達の葬儀である実感を味わっていただくやり方があります。
 頂いた礼状は後者の方でした。通夜の当日午後2時くらいから準備に入りました。
 
「母や妹夫婦と思い出コーナーなどをあれこれ準備しておりますと、親族の結束も深まるようで、また、展示した若き日の父母や、幼い私どもの写真を間に会葬者との話も弾み、親父がおれも話にいれてくれと話しかけてくるような心温まる葬儀になりました。」とのことでした。